大山 捨松(おおやま すてまつ)は、福島県出身の教育者です。1860年3月16日に生まれました。1919年2月18日に58歳で亡くなりました。
よみ | おおやま すてまつ |
生年月日 | 1860年3月16日 |
没年月日 | 1919年2月18日 |
年齢 | 58歳没 |
職業等 | 教育者 |
出身地 | 福島 |
同じ頃に生まれた | ルネ・ラリック、ウィル・キース・ケロッグ、ジョルジュ・ビゴー |
同じ頃に亡くなった | 村山槐多、辰野金吾、エミリアノ・サパタ |
職業等が同じ | 新渡戸稲造、佐野友三郎、津田梅子 |
出身地等が同じ | 朝河貫一、野口英世、堀切善兵衛 |
大山 捨松 - Wikipedia
大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本の華族、教育者。大山巌の妻。旧姓は山川(やまかわ)、幼名はさき、のち咲子(さきこ)。愛国婦人会理事。赤十字篤志看護会理事。安政7年(1860年)、会津若松の生まれ。父は会津藩の国家老・山川尚江重固(なおえ しげかた)で、2男5女の末娘である。さきが生まれたときに父は既に亡く、幼少