河野 壽(こうの ひさし)は、長崎県出身の軍人(二・二六事件首謀者)です。1907年3月7日に生まれました。1936年3月6日に28歳で亡くなりました。
よみ | こうの ひさし |
生年月日 | 1907年3月7日 |
没年月日 | 1936年3月6日 |
年齢 | 28歳没 |
職業等 | 軍人(二・二六事件首謀者) |
出身地 | 長崎 |
タグ | 自殺 |
同じ頃に生まれた | 守田勘弥(十四代目)、荒舩清十郎、石井桃子 |
同じ頃に亡くなった | 夢野久作、牧野信一、二宮忠八 |
職業等が同じ | 愛新覚羅溥傑、椎崎二郎、河石達吾 |
出身地等が同じ | 穂積驚、玉ノ海梅吉、五ツ嶌名良男 |
タグが「自殺」 | 佐藤次郎、太宰治、影山正治 |
河野 壽 - Wikipedia
河野 壽(こうの ひさし、1907年(明治40年)3月27日 - 1936年(昭和11年)3月6日)は、日本の陸軍軍人。航空兵大尉。所沢陸軍飛行学校操縦学生。二・二六事件に参加、湯河原で牧野伸顕侍従長(伯爵)を襲撃したが負傷、後に自決した。民間人を主体とした襲撃部隊(河野以下8人)を指揮し自動車2台に分乗、歩兵第一連隊を2月26日0時40分頃出発。5時頃湯河原に到着、伊藤屋旅館の元別館である「光風