柳家 金語楼(やなぎや きんごろう)は、落語家です。1901年3月13日に生まれました。1972年10月22日に71歳で亡くなりました。
よみ | やなぎや きんごろう |
生年月日 | 1901年3月13日 |
没年月日 | 1972年10月22日 |
年齢 | 71歳没 |
職業等 | 落語家 |
タグ | 日本喜劇人協会会長 |
同じ頃に生まれた | 小栗虫太郎、森澤信夫、佐藤栄作 |
同じ頃に亡くなった | ジャッキー・ロビンソン、イゴール・シコルスキー、ケニー・ドーハム |
職業等が同じ | 桂三木助(三代目)、柳家小さん(五代目)、笑福亭松鶴 |
タグが「日本喜劇人協会会長」 | 榎本健一、曽我廼家明蝶、森繁久彌 |
柳家 金語楼 - Wikipedia
初代柳家 金語楼(やなぎや きんごろう 1901年2月28日 - 1972年10月22日)は、喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名・有崎勉)、発明家、陶芸家。本名・山下敬太郎(やました けいたろう)。落語家時代の出囃子は『琉球節』。禿頭を売り物にし、エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人として知られた。戦前は主に吉本興業(東京吉本)に所属し、戦後は自ら「金星プロ」を立ち上げた。旧字体による芸名表記は