ダレナノ

双葉山 定次

双葉山 定次(ふたばやま さだじ)は、大分県出身の大相撲力士、第3代相撲協会理事長です。1912年2月9日に生まれました。1968年12月16日に56歳で亡くなりました。

よみふたばやま さだじ
生年月日1912年2月9日
没年月日1968年12月16日
年齢56歳没
職業等大相撲力士、第3代相撲協会理事長
出身地大分
性別
タグ横綱 相撲協会理事長

略歴

1927年(15歳)
立浪部屋に入門。
1931年(19歳)
十両に昇進。
1936年(24歳)
一月場所7日目に勝つ(69連勝の始まり)。五月場所で初優勝、大関に昇進。
1937年(25歳)
五月場所で優勝。
1938年(26歳)
第35代横綱に昇進。
1939年(27歳)
一月場所3日目に勝ち、69連勝。4日目に敗れる。
1945年(33歳)
現役を引退。優勝12回。
1947年(35歳)
璽光尊事件で逮捕される。
1957年(45歳)
日本相撲協会理事長に就任。
1968年(56歳)
劇症肝炎により死去。

関係のありそうな人物

同じ頃に生まれた小堀清一高津慶子竜崎一郎
同じ頃に亡くなったジョン・スタインベック原駒子トリグブ・リー
職業等が同じ有明五郎玉ノ海梅吉五ツ嶌名良男
出身地等が同じ高山辰雄石川利光双見山一夫
タグが「横綱」前田山英五郎安藝ノ海節男羽黒山政司
タグが「相撲協会理事長」栃錦清隆若乃花幹士(初代)豊山勝男

「双葉山 定次」を検索する。

「1912年2月9日」をドンナヒで検索する。

双葉山 定次 - Wikipedia
双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身の元大相撲力士。第35代横綱。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。1912年2月9日に大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)で生まれる。5歳の時に吹き矢が自身の右目に直撃して負傷し、これが元で右目が半失明状

名前で検索

職業等で検索

出身地等で検索

生まれた年で検索

亡くなった年で検索

生まれた月日で検索

リンク