栃錦 清隆(とちにしき きよたか)は、東京都出身の大相撲力士、第5代相撲協会理事長です。1925年2月20日に生まれました。1990年1月10日に64歳で亡くなりました。
よみ | とちにしき きよたか |
生年月日 | 1925年2月20日 |
没年月日 | 1990年1月10日 |
年齢 | 64歳没 |
職業等 | 大相撲力士、第5代相撲協会理事長 |
出身地 | 東京 |
性別 | 男 |
タグ | 横綱 相撲協会理事長 |
1955年(30歳)
第44代横綱に昇進。
1960年(35歳)
現役を引退。優勝10回。
1974年(49歳)
日本相撲協会理事長に就任。
1990年(65歳)
脳梗塞により死去。
同じ頃に生まれた | 笈田敏夫、豊田章一郎、片岡照七 |
同じ頃に亡くなった | 財津守、坂口允彦、橋本登美三郎 |
職業等が同じ | 信夫山治貞、時津山仁一、國登國生 |
出身地等が同じ | 小尾信彌、八木治郎、胡桃沢耕史 |
タグが「横綱」 | 千代の山雅信、若乃花幹士(初代)、朝潮太郎(三代目) |
タグが「相撲協会理事長」 | 若乃花幹士(初代)、豊山勝男、佐田の山晋松 |
栃錦 清隆 - Wikipedia
栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、東京府南葛飾郡小岩村下小岩(現・東京都江戸川区南小岩)出身の元大相撲力士。第44代横綱。本名は大塚 清(おおつか きよし)で、のちに栃木山守也の養子となって中田 清(なかた きよし)となる。1925年に、小岩村(現・江戸川区南小岩)で蛇の目傘の製造を営む家の二男として生まれる。[2&