徳田 球一(とくだ きゅういち)は、沖縄県出身の政治家、初代日本共産党書記長です。1894年9月12日に生まれました。1953年10月14日に59歳で亡くなりました。
よみ | とくだ きゅういち |
生年月日 | 1894年9月12日 |
没年月日 | 1953年10月14日 |
年齢 | 59歳没 |
職業等 | 政治家、初代日本共産党書記長 |
出身地 | 沖縄 |
同じ頃に生まれた | ジャン・ルノワール、橘外男、由比忠之進 |
同じ頃に亡くなった | ユージン・オニール、フランシス・ピカビア、ロバート・ミリカン |
職業等が同じ | 船田中、ウィリアム・タブマン、アンドレイ・ジダーノフ |
出身地等が同じ | 瀬長亀次郎、大城立裕、平良とみ |
徳田 球一 - Wikipedia
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年(明治27年)9月12日 - 1953年(昭和28年)10月14日)は、日本の政治運動家、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代より戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。沖縄県国頭方名護間切(現:沖縄県名護市)出身。家業は印刷屋で、「球一」の名は「琉球