趙 紫陽(ちょう しよう)は、中国出身の政治家、第2代中国共産党総書記です。1919年10月17日に生まれました。2005年1月17日に85歳で亡くなりました。
よみ | ちょう しよう |
生年月日 | 1919年10月17日 |
没年月日 | 2005年1月17日 |
年齢 | 85歳没 |
職業等 | 政治家、第2代中国共産党総書記 |
出身地 | 中国 |
同じ頃に生まれた | ドリス・レッシング、モハンマド・レザー・パフラヴィー、篠原三代平 |
同じ頃に亡くなった | コンスエロ・ベラスケス、桜むつ子、北原謙二 |
職業等が同じ | 山口淑子、楢崎弥之助、大松博文 |
出身地等が同じ | 華国鋒、寺島アキ子、江沢民 |
趙 紫陽 - Wikipedia
趙 紫陽(ちょう しよう、ヂャオ・ズーヤン、1919年10月17日 - 2005年1月17日)は中華人民共和国の政治家。「第2世代」の政治指導者として中国共産党中央委員会副主席、国務院総理(首相)、中国共産党中央委員会総書記などを歴任。1989年の天安門事件で失脚し、2005年に死去するまで軟禁生活を余儀なくされた。 現在の河南省滑県桑村郷趙庄で、富農の父・趙廷賓の長男として生まれ育った。原名は趙