新田 次郎(にった じろう)は、長野県出身の小説家です。1912年6月6日に生まれました。1980年2月15日に67歳で亡くなりました。
よみ | にった じろう |
生年月日 | 1912年6月6日 |
没年月日 | 1980年2月15日 |
年齢 | 67歳没 |
職業等 | 小説家 |
出身地 | 長野 |
代表作 | 「強力伝」「八甲田山死の彷徨」 |
タグ | 直木賞 |
1932年(20歳)
中央気象台(現在の気象庁)に入庁、富士山観測所に配属。
1945年(33歳)
ソ連軍に捕虜とされ1年間の抑留生活を経験。
1951年(39歳)
「強力伝」をサンデー毎日の懸賞小説に応募。
1956年(44歳)
「強力伝」で直木賞を受賞。
1964年(52歳)
富士山気象レーダーの建設工事を指揮する。
1966年(54歳)
気象庁を退職。
1971年(59歳)
「八甲田山死の彷徨」を発表。
1980年(68歳)
心筋梗塞により死去。
同じ頃に生まれた | アラン・チューリング、高山辰雄、秋好馨 |
同じ頃に亡くなった | ボン・スコット、オスカー・ココシュカ、大屋晋三 |
職業等が同じ | 多田裕計、穂積驚、榛葉英治 |
出身地等が同じ | 中村三郎、高野百介、古畑正秋 |
タグが「直木賞」 | 穂積驚、榛葉英治、岡田誠三 |
新田 次郎 - Wikipedia
新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、1912年6月6日 - 1980年2月15日)は、日本の小説家、気象学者。無線電信講習所(現在の電気通信大学)卒業。長野県諏訪郡上諏訪町(現在の諏訪市)角間新田(かくましんでん)に藤原彦、りゑの次男として生まれる。ペンネームは“新田の次男坊”から(「しんでん」を「にった」と読み替え)。旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)・