阪田 三吉(さかた さんきち)は、大阪府出身の将棋棋士です。1870年6月3日に生まれました。1946年7月23日に76歳で亡くなりました。
よみ | さかた さんきち |
生年月日 | 1870年6月3日 |
没年月日 | 1946年7月23日 |
年齢 | 76歳没 |
職業等 | 将棋棋士 |
出身地 | 大阪 |
1908年(38歳)
大阪朝日新聞の嘱託となる。
1913年(43歳)
関根金次郎八段に香落ちで勝つ(「銀が泣いている」)。
1925年(55歳)
「名人」を自称する。
1937年(67歳)
木村義雄八段に敗れる(南禅寺の決戦)。
1946年(76歳)
食中毒により死去。
同じ頃に生まれた | 木村栄、加藤寛治、鈴木大拙 |
同じ頃に亡くなった | ガートルード・スタイン、H・G・ウェルズ、白瀬矗 |
職業等が同じ | 金易二郎、中井捨吉、志沢春吉 |
出身地等が同じ | 幣原喜重郎、中村梅玉(三代目)、中村魁車(初代) |
阪田 三吉 - Wikipedia
坂田 三𠮷または阪田 三𠮷(さかた さんきち、1870年7月1日(明治3年6月3日) - 1946年(昭和21年)7月23日)は、明治から昭和初期の将棋棋士。贈名人・王将。小林東伯斎八段門下、もしくは小野五平十二世名人門下。大阪府堺市出身。姓については「坂田