鈴木 銀之助(すずき ぎんのすけ)は、岩手県出身のプロ野球選手です。1912年6月5日に生まれました。1959年8月13日に47歳で亡くなりました。
よみ | すずき ぎんのすけ |
生年月日 | 1912年6月5日 |
没年月日 | 1959年8月13日 |
年齢 | 47歳没 |
職業等 | プロ野球選手 |
出身地 | 岩手 |
性別 | 男 |
身長 | 176センチ |
NPBID | 01803801 |
同じ頃に生まれた | 新田次郎、梶一郎、アラン・チューリング |
同じ頃に亡くなった | 五島慶太、ワンダ・ランドフスカ、二瀬川政一 |
職業等が同じ | 中村三郎、高野百介、灰山元章 |
出身地等が同じ | 小田野柏、柏戸秀剛、宮錦弘 |
鈴木 銀之助 - Wikipedia
鈴木 銀之助(すずき ぎんのすけ、1912年6月5日 - 1959年8月13日)は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。1929年福岡中学卒業後、明治大学などを経て、1950年に発足したばかりの広島東洋カープへ入団。しかし当時すでに38歳となっていて、結局一軍公式戦は3試合の出場となり1年限りで引退。指導者として非凡な才能を発揮し、昭和6年、昭和15年、昭和22年の母校福岡中学の甲子園