広瀬 習一(ひろせ しゅういち)は、滋賀県出身のプロ野球選手です。1922年3月15日に生まれました。1944年9月13日に22歳で亡くなりました。
よみ | ひろせ しゅういち |
生年月日 | 1922年3月15日 |
没年月日 | 1944年9月13日 |
年齢 | 22歳没 |
職業等 | プロ野球選手 |
出身地 | 滋賀 |
性別 | 男 |
NPBID | 11513893 |
同じ頃に生まれた | 佐川清、小野錦喜三郎、高橋宏一 |
同じ頃に亡くなった | 神崎武雄、星甲実義、磐石熊太郎 |
職業等が同じ | 野口昇、林安夫、清水善秋 |
出身地等が同じ | 宇野宗佑、木川かえる、岩崎久太郎 |
広瀬 習一 - Wikipedia
広瀬 習一(ひろせ しゅういち、1922年(大正11年)3月15日 - 1944年(昭和19年)9月13日)は、滋賀県出身のプロ野球選手(投手)。戦前期に巨人軍で活躍した。大津商業出身。1939年(昭和14年)に、甲子園に出場しているが、当時は遊撃手だった。夏の県予選から投手と外野手を兼任し、甲子園への切符をかけた京都勢との代表決定戦初戦で、京都商(現京都学園高等学校)の神田武夫と二日がかりの大投