正力 松太郎(しょうりき まつたろう)は、富山県出身の実業家(読売新聞)です。1885年4月11日に生まれました。1969年10月9日に84歳で亡くなりました。
よみ | しょうりき まつたろう |
生年月日 | 1885年4月11日 |
没年月日 | 1969年10月9日 |
年齢 | 84歳没 |
職業等 | 実業家(読売新聞) |
出身地 | 富山 |
1911年(26歳)
内閣統計局に入る。
1913年(28歳)
警視庁に入る。
1923年(38歳)
警視庁警務部長となるが虎ノ門事件が起きる。
1924年(39歳)
虎ノ門事件の責任を問われ、警視庁を免職。読売新聞の社長に就任。
1934年(49歳)
大日本東京野球倶楽部(巨人の前身)を創立。
1945年(60歳)
A級戦犯として巣鴨拘置所に収監。
1952年(67歳)
日本テレビの社長(初代)に就任。
1955年(70歳)
衆議院議員に当選。
1956年(71歳)
原子力委員会の委員長(初代)に就任。
1958年(73歳)
読売新聞の社主に就任。読売テレビの会長に就任。
1967年(82歳)
報知新聞の社主に就任。
同じ頃に生まれた | ロベール・ドローネー、高倉徳太郎、飯田蛇笏 |
同じ頃に亡くなった | 羽黒山政司、ジャック・ケルアック、木々高太郎 |
職業等が同じ | 出光佐三、石川一郎、藤井林右衛門 |
出身地等が同じ | 劔岳吉五郎、大八洲晃、源氏鶏太 |
正力 松太郎 - Wikipedia
正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年(明治18年)4月11日 – 1969年(昭和44年)10月9日)は、日本の内務官僚、実業家、政治家、CIAエージェント。読売新聞社社主らを歴任。位階勲等は従二位勲一等。富山県高岡市の名誉市民であり、京成電鉄OBでもある。読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる