明石 元二郎(あかし もとじろう)は、福岡県出身の軍人です。1864年9月1日に生まれました。1919年10月26日に55歳で亡くなりました。
よみ | あかし もとじろう |
生年月日 | 1864年9月1日 |
没年月日 | 1919年10月26日 |
年齢 | 55歳没 |
職業等 | 軍人 |
出身地 | 福岡 |
同じ頃に生まれた | ヤーコプ・フォン・ユクスキュル、伊藤左千夫、ロバート・ランシング |
同じ頃に亡くなった | 寺内正毅、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ヘルマン・ヴァインゲルトナー |
職業等が同じ | ハンス・フォン・ゼークト、カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム、財部彪 |
出身地等が同じ | 広田弘毅、杉山元、山崎達之輔 |
明石 元二郎 - Wikipedia
明石 元二郎(あかし もとじろう、元治元年8月1日(1864年9月1日) - 大正8年(1919年)10月26日)は明治・大正期の日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。第7代台湾総督。福岡藩出身。夫人は国子(郡保宗の二女)、後妻に黒田信子(黒田一葦の娘)。福岡藩士・明石助九郎の次男として元治元年(1864年)に福岡藩の大名町に生まれる。藩校修猷館(現在の福岡県立修猷