アントニオ 猪木(あんとにお いのき)は、神奈川県出身のプロレスラーです。1943年2月20日に生まれました。2022年10月1日に79歳で亡くなりました。
よみ | あんとにお いのき |
生年月日 | 1943年2月20日 |
没年月日 | 2022年10月1日 |
年齢 | 79歳没 |
職業等 | プロレスラー |
出身地 | 神奈川 |
死因 | アミロイドーシス |
性別 | 男 |
身長 | 191センチ |
本名 | 猪木 寛至 |
1957年(14歳)
一家と共にブラジルに渡る。
1960年(17歳)
ブラジルに来ていた力道山にスカウトされ、日本プロレスに加入。
1964年(21歳)
アメリカに渡る。
1966年(23歳)
アメリカから帰国し、東京プロレスの発足に参加。
1967年(24歳)
東京プロレスが崩壊。日本プロレスに戻る。
1972年(29歳)
新日本プロレスを発足。
1976年(33歳)
モハメド・アリとの異種格闘技戦を実現。
1983年(40歳)
ハルク・ホーガンと対戦し、失神KOされる。
1989年(46歳)
スポーツ平和党を結成し参議院議員に当選。
出る前に負けること考えるバカいるかよ。出てけ、こら。
アントニオ猪木、1990年東京ドーム大会の試合の前に「もし負けることがあれば」とインタビュアーに言われて
よりによって一番弱い奴が出て行った。
アントニオ猪木、ヒクソン・グレイシーにプロレスの高田延彦が完敗して
いい大掃除ができました。
アントニオ猪木、長州力に新日本プロレスの選手を大量に引き抜かれた際に
いち、に、さん、ダー!
アントニオ猪木、お決まりの掛け声、1990年2月10日の東京ドーム大会が最初と言われる
限界と言うから、限界ができるのだ。
アントニオ猪木
俺に言うな。
アントニオ猪木、若手選手に「何に怒っているか」と訊いておいて
同じ頃に生まれた | 大前研一、村井春男、山口二矢 |
同じ頃に亡くなった | かざま鋭二、サラ・リー、松原千明 |
職業等が同じ | ハーリー・レイス、オットー・ワンツ、スーパースター・ビリー・グラハム |
出身地等が同じ | 河野ヨシユキ、内田繁、周富徳 |
アントニオ 猪木 - Wikipedia
アントニオ猪木(アントニオいのき、英: Antonio Inoki, 1943年2月20日 - )は、日本の元プロレスラー、実業家、政治家。本名:猪木 寛至(いのき かんじ)。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。複数の結婚歴と離婚歴があり