吉阪 隆正(よしざか たかまさ)は、東京都出身の建築家です。1917年2月13日に生まれました。1980年12月17日に63歳で亡くなりました。
よみ | よしざか たかまさ |
生年月日 | 1917年2月13日 |
没年月日 | 1980年12月17日 |
年齢 | 63歳没 |
職業等 | 建築家 |
出身地 | 東京 |
同じ頃に生まれた | ハーバート・ハウプトマン、桜井太郎、中村一雄 |
同じ頃に亡くなった | アレクセイ・コスイギン、エルストン・ハワード、嵐璃珏(五代目) |
職業等が同じ | イオ・ミン・ペイ、大高正人、菊竹清訓 |
出身地等が同じ | 青木一雄、安西愛子、伊豆肇 |
吉阪 隆正 - Wikipedia
吉阪 隆正(よしざか たかまさ、1917年2月13日 - 1980年12月17日)は、日本を代表する建築家。吉阪俊蔵・花子夫妻の長男として東京都文京区(当時は東京市小石川区)に生まれた。父・俊蔵は内務官僚で、母・花子は動物学者として有名な箕作佳吉の次女。従って隆正は箕作阮甫の玄孫にあたる。1923年、父の勤務先のスイスから一家で帰国して東京百人町に住み、暁星小学校に入学。小学校6年生の終わりに父の