田中 絹代(たなか きぬよ)は、山口県出身の女優です。1909年11月29日に生まれました。1977年3月21日に67歳で亡くなりました。
よみ | たなか きぬよ |
生年月日 | 1909年11月29日 |
没年月日 | 1977年3月21日 |
年齢 | 67歳没 |
職業等 | 女優 |
出身地 | 山口 |
性別 | 女 |
1924年(15歳)
松竹に入社。
1932年(23歳)
映画「金色夜叉」に主演。
1949年(40歳)
松竹を退社。日米親善大使として渡米。帰国後、「アメリカかぶれ」と叩かれスランプに。
1952年(43歳)
映画「西鶴一代女」に主演しスランプを脱す。
1958年(49歳)
映画「楢山節考」で老婆を演じる。
1975年(66歳)
ドラマ「前略おふくろ様」で主人公の母を演じる。
1977年(68歳)
脳腫瘍により死去。
同じ頃に生まれた | 武藏山武、今官一、若港三郎 |
同じ頃に亡くなった | 栃光正之、熊谷達人、一乃矢藤太郎 |
職業等が同じ | ルイーゼ・ライナー、原駒子、クレア・トレヴァー |
出身地等が同じ | 三輪壽雪、斯波四郎、豊田久吉 |
田中 絹代 - Wikipedia
田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 - 1977年3月21日)は、日本の女優、映画監督。本名同じ。旧芸名は田中 錦華(たなか きんか)。黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男、清水宏、木下惠介ら大物監督に重用され、約260本の作品に出演した。14歳で松竹に入社し、清純派スターと