高村 光太郎(たかむら こうたろう)は、東京都出身の詩人、歌人です。1883年3月13日に生まれました。1956年4月2日に73歳で亡くなりました。
よみ | たかむら こうたろう |
生年月日 | 1883年3月13日 |
没年月日 | 1956年4月2日 |
年齢 | 73歳没 |
職業等 | 詩人、歌人 |
出身地 | 東京 |
1914年(31歳)
詩集「道程」を発表。長沼智恵子と結婚。
1938年(55歳)
妻、智恵子が肺結核により死去。
1941年(58歳)
「智恵子抄」を発表。
1953年(70歳)
「乙女の像」完成。
1956年(73歳)
肺結核により死去。
同じ頃に生まれた | 大錦大五郎、北大路魯山人、北一輝 |
同じ頃に亡くなった | エミール・ノルデ、宇垣一成、アルバン・W・バークリー |
職業等が同じ | 北原白秋、石川啄木、萩原朔太郎 |
出身地等が同じ | 宮澤裕、安田靫彦、荻原井泉水 |
高村 光太郎 - Wikipedia
高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学