ダレナノ

彼らがあなたの年齢で達成したこと

39歳|41歳

40歳

小泉八雲 来日し、松江中学校の英語教師となる。(1890年)

高峰譲吉 ジアスターゼの抽出に成功、タカジアスターゼを発明。(1894年)

尾崎行雄 文部大臣に就任。(1898年)

夏目漱石 教職を辞し、朝日新聞社に入社。(1907年)

土光敏夫 芝浦製作所(現東芝)に出向。(1936年)

山本周五郎 「日本婦道記」で直木賞に選ばれるが受賞を辞退。(1943年)

坂口安吾 「堕落論」「白痴」を発表。(1946年)

服部良一 笠置シズ子が歌う「東京ブギウギ」を発表。(1947年)

田中絹代 松竹を退社。日米親善大使として渡米。帰国後、「アメリカかぶれ」と叩かれスランプに。(1949年)

三原脩 西鉄の監督に就任。(1951年)

森繁久彌 映画「次郎長三国志」に出演。(1953年)

市川崑 映画「ビルマの竪琴」がヒット。(1955年)

藤村富美男 監督として自分を代打に指名、代打逆転サヨナラ満塁本塁打。(1956年)

千葉茂 近鉄の監督に就任。(1959年)

西本幸雄 大毎の監督に就任。リーグ優勝。日本シリーズで三原脩率いる大洋に敗れ辞任。(1960年)

中内功 主婦の店ダイエーに商号変更。(1962年)

司馬遼太郎 「国盗り物語」をサンデー毎日に連載開始。(1963年)

三島由紀夫 「サド侯爵夫人」を発表。「豊饒の海」を連載開始。(1965年)

渥美清 テレビドラマ「男はつらいよ」に主演。(1968年)

石原慎太郎 衆議院議員に当選。(1972年)

菅原文太 映画「仁義なき戦い」に出演。(1973年)

藤子不二雄A 「プロゴルファー猿」の連載開始。(1974年)

野村克也 通算2500安打を達成。(1975年)

長嶋茂雄 巨人の監督として初めてのリーグ優勝。(1976年)

森祇晶 ヤクルトのコーチを辞任。(1977年)

古今亭志ん朝(三代目) 落語協会を脱退。すぐに戻る。(1978年)

王貞治 991守備機会連続無失策(一塁手)。現役を引退。通算868本塁打、2786安打、1967得点。(1980年)

ラッシャー木村 新日本プロレスに参加。(1981年)

アントニオ猪木 ハルク・ホーガンと対戦し、失神KOされる。(1983年)

釜本邦茂 現役を引退。日本リーグ通算202得点、得点王7回。(1984年)

高田繁 日本ハムの監督に就任。(1985年)

有藤通世 現役を引退。通算2057安打。(1986年)

ちあきなおみ 「タンスにゴン」のCMに出演。(1987年)

門田博光 三度目の本塁打王、二度目の打点王になる。MVPを獲得。(1988年)

松田優作 映画「ブラック・レイン」に出演。膀胱がんにより死去。(1989年)

大島康徳 通算2000本安打を達成。(1990年)

山本リンダ リバイバルブームに乗り、紅白歌合戦に出場。(1991年)

中島らも 「今夜、すべてのバーで」で吉川英治文学新人賞を受賞。(1992年)

高村薫 「リヴィエラを撃て」で日本推理作家協会賞を受賞、「マークスの山」で直木賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。(1993年)

石毛宏典 現役を引退。通算1833安打。(1996年)

原博実 浦和の監督に就任。翌年、解任。(1998年)

秋山幸二 現役を引退。通算437本塁打。(2002年)

古田敦也 通算2000本安打を達成。(2005年)

田中幸雄 現役を引退。通算2012安打。(2007年)

金本知憲 通算2000本安打を達成。(2008年)

田口壮 カブスに移籍。(2009年)

黒田博樹 広島に移籍。メジャー通算79勝79敗。(2015年)

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